Take it easy !

 初めまして、Raymond Yanです。人生、もっと気楽に生きていきたいという思いから、このブログを始めました。YouTubeで公開している武術の動画も、こちらでは解説付きで、公開したいと思います。  Old fashioned & hybrid martial arts(https://www.youtube.com/results?search_query=raymond+yan)

カテゴリ: 政治

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(27:33~28:24)
「最後に、国民の諸君に告げる。我々は、今から国家権力の中枢が如何に腐敗しているかを、如何に空虚であるかを実証する。この革命行為の真の目的は、諸君を覚醒させることだ。従順は、美徳ではない。諦めも、美徳ではない。

 この国のシステムに理不尽と不平等と不誠実を感じている者たちがいるなら、今から起こる事に刮目せよ。一言半句も漏らさぬよう耳を澄ませよ。そして、自らの頭で考え、立ち上がれ。


 仮に、この映画の中で描かれているような事件がホントに起こったとして、日本の国民は、覚醒しますかね?幼い頃から受け続けた学校教育と言う名の「マインドコントロール」と部活や社員教育と言う名の「洗脳」を受け続けた国民は、
尾形総一郎のこの呼びかけに拒絶反応を起こしこそすれ、共感はしないでしょう。

 
確かに、この映画の中でニセ尾形総一郎が語っている通りだと私も思います。しかしながら、自らの頭で考えない人たちが、今の日本人の大多数でしょう。真に問題意識を持ち、自らの頭で考え、立ち上がろうとする人たちは、ごく少数です。つまり、「判断と決断を他人に委ね、寝そべるか座り込んでいる」人たちばかりだと言うことです。そもそも、自分たちがマインドコントロールされ、洗脳されている事にすら、気づいていない人たちばかりですから。


 経済状況が極度に悪化して、国民の政府に対する不満が頂点に達していない限り、この国で革命が起きる事は、絶対にあり得ません。この場合、そう断言できます。
一斉蜂起が国民の総意でない限り、革命を起こすことは出来ないし、起こりません。無理に革命を起こそうとしても、国民の支持を得られず、テロリスト扱いされて葬り去られるだけです。

 もし、この国で革命が起こり得るとすれば、何らかの外部的要因が強く働いた時だけでしょう。しかも、その外部的要因は、かなりの劇薬です。


 出来れば、摩擦や衝突を最小限に留める緩やかな変革が、望ましいですね。いくら治療のためとは言え、余程の事情がない限り、劇薬を使用するもんじゃありません。



 私の結論は、こうです。

1.国民の大半がマインドコントロールされ、洗脳されている現在の日本では、真の意味での革命は起こらない。

2.
たとえ、外部的な要因が働いたとしても、時間をかけた緩やかな変革を目指すのが、日本を変革するための望ましい方法である。これは、国民の意識を覚醒させるプロセスにおいても、そして、社会システム・国家体制を変革するプロセスにおいても、そう言える。

3.人間の意識を急激に変えようとすれば、必ず各個人の精神生活に大きな混乱と葛藤を齎す。ヘタをすれば、自殺や凶悪犯罪の増加を招くことになる。

 社会システムや国家体制の
急激な変革を求めれば、必ず武力による激しい衝突が起こり、その衝突の中で大勢の人間が、その尊い命を落とす事になる。

 内的な意味でも、外的な意味でも、急激な変化は、求めるべくもない。






〽狭い部屋で仲間と夢描いた
 いつかは この国 目を覚ますと
 ああ、
 裏切りの意味さえも知らないで おお
 ああ、
 訳もなく砕かれて 手のひらから落ちた
 あれは 俺18
 肩すぼめて待ち続けた路地裏で
       (浜田省吾「路地裏の少年」より)


 浜省が、

いつかは この国 目を覚ますと

と歌ってから、来年で48年になります。47年経っても、まだ、国民全体は目覚めていないようですが、ネットが普及したおかげで、若い人たちを中心に少しずつ目覚めが始まりつつあります。この小さな芽生えが、いつの日か天を見上げるような大樹に育つことを祈りたいですね。
 








@RaymondYan007
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 習近平の最大の過ちは、長年の改革開放政策で肥大化してしまった人民の欲望を抑え込めて、計画経済に戻せると信じ込んでいる事です。

 毛沢東の猿真似をしてるみたいですが、現実は、そんなに単純ではありません。鴻海の中国工場で起きたモノよりも、更に大きな暴動が、中国各地で起き始めます。毛沢東の時代と違うのは、今の中国は、コロナの問題もあるし、何より、皆、スマホを持っていて、相互に連絡をすぐに取れると言うことです。

 文革当時、誰が、一人ひとりの人間が電話をもって歩ける時代が来ると予想できたでしょうか?一体、誰が、その電話で写真ばかりでなく動画も撮影できるようになると想像していたでしょうか?しかも、それを他人に送ったり、公に拡散できるようになると、誰が想像したでしょうか?もう、時代が違うんです。


 こんな状態で、計画経済に戻して、新文化革命を遂行しようとしても、かなり無理があります。今は、パソコンやスマホの普及で、少なからぬ人々が真実を知っているので、そう簡単に洗脳も出来ません。コロナ以前は、大挙して中国人が日本に旅行に来て、長年学校で教え込まれていた日本人像とは真反対の日本人の実像を知った人たちも多いので、もう反日も、使いにくくなっています。

 これで、習近平が、今の路線を突き進み続ければ、待っているのは、「破滅」の二文字あるのみです。でも、気づかないでしょうねえ。ここまで来たら、行くとこまで行くしかありません。





 
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 機能不全に陥った体制は
 一旦、全て破壊しないと
 新たな体制は築けない。 
(Raymondの格言)
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 自ら女を要求してハニトラにかかる人は、言語道断ですが、媚薬を盛られて美女に迫られたら、99%の男は落ちるでしょう。薬物中毒者が禁断症状に陥ったのと同じような状態になってるからです。更にその時の性行為を録画されていれば、あちらの言いなりになるしかなくなります。

 そういう状態でハニトラにかかり、中国や北朝鮮の言いなりにならざるを得なくなった人たちは、ちょっと気の毒ですね。北朝鮮のハニトラにかかって、自殺した自衛官もいましたね。

 正直言って、そこまでやるかって感じですけど、核兵器以外の通常兵器が貧弱な北朝鮮としては、そこまでやらないと国を守り切れないと思ってるんでしょうね。向こうも、必死です。

 韓国の政治家がこれだけ北朝鮮のハニートラップにかかっているとすれば、日本の政治家も、当然ひっかかってるでしょう。この動画を見ると、北朝鮮との交流に非常に熱心だったレスラー出身の元国会議員の先生も、そうだったのかなと勘繰りたくなります。


 これは、韓国にも言える事ですが、中国のハニートラップにもかかってしまった日本の政治家や財界人は、多いと思いますね。うかうかしてると、日本も侵略されて、中華人民共和国大和族自治区になってしまいます。




 

 朴先生は、

「(ハニートラップにかかった人を)簡単に見分ける方法は、一つあります。それは、韓国で北朝鮮を批判していた人物が、北朝鮮訪問後に突然、北朝鮮擁護に立場を変えたかどうかを見極めることです。」

と仰ってます。昨年の米国大統領選挙でも、突然、意見を180度転換させた言論人がいました。彼らは、

「言う事を聞かないと、お前やお前の家族の命の補償はないぞ!」

と脅迫されていたと考えていましたが、もしかしたら、あの人たちの中にも、ハニートラップにかかっていた人たちがいたのかも知れません。


 


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 由利公正

 坂本龍馬から、天下の人物として名前が挙げられた二人のうちの一人が、西郷隆盛で、もう一人が、この写真の人物、三岡八郎、後の由利公正である。 

 三岡は、文政12年(1829年)、越前福井藩の藩士三岡義知の嫡男として越前国足羽郡福井城下に生まれた。24歳で家督を相続し、福井を訪れた
熊本出身の横井小楠より財政学を学んだ。


 後に、藩主松平慶永より財政再建の命が三岡に下された。三岡は、実態調査に5年をかけた。まず、藩内外の実態を把握する事が先決だと考えたのである。下関では物産取引の実情をつぶさに調査した。

 その結果判明したことは、領民一人当たりの年収が0,5石しかない事と領民たちが「いくら身を粉にして働いても、殆んど藩に税として持って行かれる」と言う気持ちになっている事だった。年収は、当時の日本の年収の半分しかなかったし、領民たちは、藩に対する不信感から労働意欲を失くしていた。


 「これじゃあ、ダメだ。」と悟った三岡は、

「藩の財政再建は、藩が富む事ではなく、領民が富むことだ。」

と考えるようになった。この「民富論」は、彼の財政学の師である横井小楠や先輩の橋本佐内が、福井藩に持ち込んだ考え方である。彼は、民富論を実践するための具体策を次のように整理した。

1.藩内の特産物の生産を高める。

2.流通は大阪などの商人に頼むのではなく、藩内の商売人たちに依頼する。

3.生産と販売に関しては、藩は口出しせず、長崎に外国との窓口である藩の蔵屋敷を建てるにとどめる。

4.切手を起債し、これを運用資金として生産者と流通者に貸し付ける。


 実際に、彼は、長崎に藩の蔵屋敷を建て、オランダ商館と生糸や醬油などの特産物の販売の特約を結び、初年度25万ドル、翌年45万ドル、翌々年には60万ドルを売り上げた。三岡は、利益を公平に分配し、起債も償還し、貸付け金を現金化したので、初めは、「うまいこと言って、どうせまた増税する気なんだろう」と起債に猜疑心を抱いていた領民たちの三岡に対する信用度は一気に上がった。

「三岡さんは、ウソをつかないし、やることに温もりがある。」

という評判が立った。これは、三岡が、「民が富む事が、藩が富む事だ。」と信じ、ワラジ履きで藩内を隅から隅まで歩き回り、領民たちを

「自力で富め。藩は、そちたちに力添えをするだけだ。ウソはつかん。」

と説得して回り、その言葉通りの事を実行した結果だった。


 どこぞの国の政府に聞かせてやりたい話である。


 


 
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